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“常識を疑う”という「常識」を疑ってみる

センターまでもう一ヶ月くらいしかありませんが、どうも勉強する気がおきないので、またグダグダと自論を書いて良い気分になろうと思います。





「常識を疑え」よく聞きますよね。自分も好きな言葉です。

本当によく耳にするので、今や“常識を疑うこと”までも「常識」みたいになっているようにも思えます。



ところで、一ヶ月前くらいにこんなことをTwitterで呟いたんですよ。

『肝に銘じておきたいこと:「常識を疑うのも大事だがそれよりも先に、常識を疑う“自分自身”をまずは疑ってみるべし」』

何か偉そうなこと言ってますが、「常識を疑うこと」について考えていた時に浮かんだフレーズを呟いてみただけです。
これでは、何となく良いこと言ったつもりになっているだけで全くもって思考不足です。
(こうやって“何となく良いこと言ったつもり”に簡単になれてしまうことが、Twitterが思考停止を招きがちである原因かもしれませんね。)



このままだと思考停止となんら変わらないので、

常識を疑うことが大好きな自分は、“常識を疑う”という「常識」も疑ってみようと思います。





まずは、言葉の意味を確認しましょう。


「常識」とは…一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。

「疑う」とは…① 本当かどうか怪しいと思う。不審に思う。うたぐる。② 事柄・事態を推測する。うたぐる。③ 本当かどうか不安に思う。危ぶむ。


デジタル大辞泉を参照しました。「常識を疑う」と言う場合、「疑う」の意味は①でしょう。
つまり、

「常識を疑う」=一般の社会人(大多数の人々)が当たり前と思っていることを、本当かどうか考えてみる

こんな感じの意味でしょうかね。念のため、言葉の意味の確認をしました。





ここ最近、「常識を疑え」と言う人が増えているように思います。

「常識が正しいとは限らない」という言葉はよく聞きます。
その他、色々な人が“常識を疑うことが大切な理由”を説明しています。
「常識に縛られると発想が貧困になる」とか「常識から離れると会社などで画期的な改革が行える」とか・・・。

つまりは、「常識に縛られる人は不幸だ」「常識に縛られない自由な発想・価値観を持った方が幸福だ」と言ってるのでしょうか。


「常識を疑え」と言う人が増えるに従い、“常識を疑う人”もどんどん増えていきます。
ますます皆さん、常識を疑い始めます。
そして、“常識を疑う”という「常識」が出来上がりつつある今、その「常識」を疑うべき時が来たのではないかと思います。




何故、“常識を疑う”という「常識」を疑う必要があるのか。

それは、「とにかく常識は疑うべきだ」と“常識を疑う”という行為そのものを「目的」としてしまう人が現れているからです。
“常識を疑う”という行為は、今までの当たり前を越えた“新たな方法・考え方・価値観”を模索する「手段」・「経過」でしかありません。

つまり、“常識を疑う”ことについて「手段の目的化」が起きているのでないか、と自分は言いたいわけです。




“常識を疑う”だけで満足してしまい、本来の目的であるはずの“新たな方法・考え方・価値観の模索”が出来ていない。
これでは明らかに思考不足です。中途半端な思考停止です。

常識を疑っている時点で常識を盲信する人たちよりは思考していると思うかもしれませんが、“中途半端な思考”は“思考しないこと”以上に不幸を招いてしまいます。




常識をむやみやたらと疑っていると、非常識な人間として社会に適応できなくなってしまいます。

常識をひたすら疑って「皆そう言うけど本当なの?」と思ってはいても、それ以上の思考はしないので、常識を越える“新たな方法・考え方・価値観”を導き出せず、ただただ社会に対する不満は募り不信感は増すばかり。
常識を疑うだけで捨てることは出来ないので、結局は常識に縛られたまま。

このような、“常識を疑う”という「常識」に縛られている人たちは、常識を盲信する人たち以上に常識に縛られており、不幸です。





“常識を疑う”ことは大切ですが、何でもかんでも疑えば良いってものでもありません。

常識を疑うことはあくまで「手段」「経過」であり、疑うという行為を経て“今までの常識に替わる新たな方法・考え方・価値観”を導き出すのが「目的」です。

常識の替わりとなる方法・考え方・価値観を手に入れなければ、常識の呪縛からは逃れられません。





ある常識を疑い続けても、「目的」が達成できずに、その常識を捨てることが出来ないのであれば、その常識を疑うことは止めるべきです。

それは決して思考停止ではありません。

“その常識に替わるものは無い”という一つの結論を導き出したのです。

“常識を疑うことは大切だ”という「常識」を盲信することこそが思考停止なのです。



常識をとにかく疑ってはいても、その常識を捨てることが出来ずに悩んでいる皆さん。

今までの常識の替わりとなるような方法・考え方・価値観を導き出すのは、簡単なことではありません。

そんなに常識を疑うのが好きならば、“常識を疑う”という「常識」も疑ってみては?
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もう11月も終わりですな

なんて悠長なことは言ってられませんね。受験生として。浪人生として。

そろそろギア全開にしないといけないです。

これからネットに繋ぐことが更に減ります。




ところで、自分が受験勉強するのは勿論大学に行くためなのですが、大学の就職状況はなんとも厳しいようでして。特に自分の住む北海道は更に酷い状態です。

大学生の就職内定率62・5% 下落幅、最大の7・4ポイント

高校生就職内定33% 札幌圏求人40%減 道内10月末



そんな状況の中、北海道の大学の中でトップである北大の学生らが「就活くたばれデモ」を行ったようです。

就活に不満、学生がデモ 札幌中心部で

一応、はてブのリンクも。
はてなブックマーク - 就活に不満、学生がデモ 札幌中心部で-北海道新聞[道内]


やっと声を上げる人たちが出てきました。
具体的にどうしてほしいのかはこの記事だけでは見えてきませんが、まずは声を上げないと始まりませんからね。
(ちなみに言わずもがなですが、ネットでグダグダ愚痴をたれるのは「声を上げる」とは言いません。)

「デモ」というと危険で迷惑な行為だと思う人も今の日本なら結構いるかもしれませんが、むしろこれが当たり前だと思います。


しかし、参加人数はわずか20人・・・少ないですねぇ。
恐らく、「デモなんてしてる暇ない」とか「そんなことしたって何も変わらない」とか思う学生がほとんどなんだろうと思います。
「デモなんてしたことが就職希望先にばれると就職に不利だ」とも思っているかもしれません。

「何をしたって世の中は変わりはしない」という閉塞感・無力感が日本全体に蔓延しているのはどうにかしたいものです。

「皆で訴えれば世の中は変えられる!」と皆に思わせるにはどうしたらよいのでしょうかね。




このデモをきっかけに、声を上げる人が増えれば素晴らしいのですが、そう簡単にはいきそうにありません。

このデモの結果、大した効果が上がらず「やっぱり何も変わらないんだ」と閉塞感・無力感が強まってしまうことは絶対に避けたいものです。

まあ、そもそも世間的にはこのデモのことがあまり知られていない気がしてとても残念なのですが。






グダグダ書きましたが、自分ごときがネット上のちんけなブログで何を言おうが世の中は変わりません。それは重々承知です。

とにかく、今の自分は第一志望の大学に受かるために受験勉強するべきなんだと思います。
今、就職する気はありませんし。就職するにも就職先が無いですし。

例え自分が今の受験のシステムに疑問を持っていようとも、行き過ぎた競争主義をどれだけ嫌っていようとも、世の中を変える力が無い以上は受験競争に参加せざるを得ません。

「改革」が不可能なら「適応」するしかないです。

まあ、不可能って決め付けるのは良くないかもしれませんね。
しかし、「改革」するために世の中に訴えるには、お金や仲間や時間がどうしても必要です。(それも決め付けかな? ネット世論が強くなれば状況は変わるかも。)
今の自分には、お金も人望も無いですからね。


そもそも自分は、「改革」を先頭に立ってしようと思うような人間ではないですし。
「改革」よりも「適応」を選ぶ怠惰な人間ですし。


自分のように世の中を変える気の無い怠惰な人間は、世の中にどれだけ不満があろうが適応して生きていくしかないってことですね。
それも一つの生き方だと思いますけど。

はい。グダグダ言わず勉強します。

私立高校無償化論と自分が「自己責任論」を嫌う理由

最近はてブで話題になったエントリ

「私立高校も、無償化して!」「公立と私立で格差ないよう、国が責任とれ!」…各地でパレードや集会

それに対するブクマコメ

メタブクマコメ



「私立高校無償化せよ!」と訴える彼らに対して、多くの2ch住人やはてブユーザーは

『私立は金持ちが行く学校だ 金がないなら公立に行け』
『パレードとかしてる暇があるなら公立行けるよう勉強しろ』
『努力が足りない!』
『自己責任だ、勉強しろ』
『自業自得』
『金無いなら私立行かず働け』

と厳しい意見。
確かに、ごもっともな意見に思えます。
自分も恥ずかしながら、大して考えもせずに一瞬そう思ってしまいました。
しかし、本当に彼らを叩いて済む話でしょうか?

そもそも、何故「私立高校も、無償化して!」といった一見おかしな訴えが起きるのでしょうか?
「こいつらが馬鹿だから」と言えばそれまでですが、本当に馬鹿なのは果たしてどちらなのでしょうか?

このことについて、自分が「自己責任論」を嫌う理由も絡めて、思ったことを書いていこうと思います。




まず勘違いを避けるために、地域によって「私立高校」の扱いに差があることを確認しておかなければなりません。

首都圏に住む人にはそのような感覚は無いかもしれませんが、

「私立高校」=公立高校に行く学力が無い人が行くところ  

というのが常識である地域もあるのです。

つまり、その地域の底辺の学力の高校が私立であるため、学力不足の子供たちは私立高校にしか通えないといったことが起きるわけです。

不況である昨今、大卒でさえ就職難です。中卒の働き口などほとんどありません。
彼らは、就職に最低限必要な"高卒"の学歴を得るために私立に通わざるを得なくなります。
そのような人たちが、今回のような「私立高校も、無償化して!」という訴えを起こしてもおかしくはないと思います。




このような人たちに対して、
「公立に行けるよう努力しなかったお前らが悪い」

と自己責任・自業自得だと言う人がいます。もっともな様に聞こえるかもしれません。

しかし、このような自己責任論には問題があると思います。

努力が足りない、とは言いますが、それでは、努力しさえすれば皆公立の高校に行けるのでしょうか?

これは、「努力が必ずしも報われるとは限らない」といった次元の話をしているのではありません。

公立高校にも定員があるということを言いたいのです。


努力した人が皆、公立高校に行けるのであれば、「努力が足りない」という意見は正しいと思います。
しかし、公立高校にも定員がある以上、全ての人が行けるわけではありません。

努力しても公立に行けない人たちは必ず出てきます。

そのような人たちさえも「努力が足りない・自業自得だ」と切り捨てるのですか?

それが競争主義だから仕方ないと言えばそれまでなのでしょうが、"勝者"が"敗者"に心無い言葉を浴びせる権利は無いと思います。

公立高校に通っている人は、「あなたのせいで一人公立高校に通えなくなった人がいる」ということを考えたことがあるのでしょうか?

逆に言えば、「あなたが公立高校に通えたのは、自分以外の誰かが私立高校に通ってくれたおかげ」とも言えます。

"敗者"がいてこその"勝者"です。競争主義とは残酷なものです。

"努力がたまたま実った勝者"が、単なる怠け者の敗者だけでなく、"たまたま努力が実らなかった敗者"までも、「努力が足りなかったんだ・自己責任だ・自業自得だ」と切り捨ててしまう。

果たして、それで良いのでしょうか?

自分はこのような「自己責任論」が嫌いです。大嫌いです。





公立高校に行くために一生懸命勉強した人たちが、「私立高校も、無償化して!」「公立と私立で格差ないよう、国が責任とれ!」と訴える人を見て怒り出すのは、仕方のないことかもしれません。

しかし、だからといって「自己責任論」を用いて叩けば済む話では決してありません。


はてなのブコメを見ると、

・公立高校の定員を増やす
・底辺高校が私立ではなく公立になるようにする
・就職の際の中卒と高卒の差別を無くす

等が問題解決に繋がる意見でしょうか。

教育システムの改革と雇用対策、両方の面から取り組む必要がある問題であることは確かです。




「私立高校も、無償化して!」「公立と私立で格差ないよう、国が責任とれ!」と主張する人たちを、「努力が足りない・自己責任だろ・馬鹿じゃないの」と叩く2ch住人やはてブユーザーがたくさんいました。

しかし、本当に馬鹿なのは一体どちらなのでしょうか。

私たちが本当に叩く・訴えるべき相手は「国」ではないでしょうか。
私立高校に通えない貧乏な家庭の子供が、努力が実らず学力不足で公立に通えなかった場合、働き口が見つからない中卒にならざるをえない、そのような状況を放っておいてる「国」にこそ批判の声をあげるべきではないでしょうか。

署名やデモ行進という形で実際に行政に働きかけている人たちの方が、よっぽど利口に思えます。

少なくとも彼らは、訴える相手を間違ってはいないのですから。

プラス思考と価値観

一週間くらい前のニュースですが→日本の「貧困率」15・7%、OECD中4位

アメリカ的な考え・価値観をどんどん取り入れていった結果ですね。
日本は、先進国の中でアメリカの次に格差の大きな国になりました。

格差社会がますます深刻になったと日本の国民たちは嘆いていますが、競争社会において格差が生じるのは当たり前ですし、アメリカの価値観を選択して取り入れていったのは他の誰でもない日本国民なんですけどね。



だからといって、アメリカ型の競争社会が悪いのか・・・そう簡単には言えないと思います。

もう調査から数年経っていますが、幸福度の調査結果を二つほど

・「国民の幸福度」世界一はデンマーク、日本は97カ国中43位。
・「国民の幸福度」はデンマークが1位、日本はまさかの90位に。


上の方の調査では、日本は97カ国・地域中43位ですが、アメリカは16位。
下の方の調査では、日本は178ヵ国中90位ですが、アメリカは23位です。


アメリカの方が、随分順位が良いですね。

数年前の調査なので現在ではどうかは分かりませんが、アメリカは日本より深刻な格差社会
ですが、幸福を感じている人の割合は日本よりかなり多いようです。

つまり、アメリカ型競争社会そのものが悪いのではなく、日本にはそれが合わないだけということですね。


ちなみに、どちらの幸福度ランキングでも一位になっている福祉国家デンマークは、貧困率の低さでも一位(5・2%)でした。

デンマークに興味のある方はこの新書を読んでみると良いかも

世界一幸福な国デンマークの暮らし方 (PHP新書)





こんなことを書いてきましたが、今までの話は実は今回書きたいことの趣旨にはそんなに関係無かったりします。
自分は別に"日本も福祉国家にしろ"とか言う気は全くありません。
ただ、「日本の常識的な価値観だけに縛られていると不幸になっちゃうぞ」と言いたかったわけです。

今回書きたいのは、自分の価値観・幸福感についてです。

自分なりの「プラス思考になる方法」を書きたいなと思います。




幸福度調査などで、もし「あなたは幸福ですか?」と聞かれたら、迷わず「はい。幸福です。」と自分は答えられます。
実際、幸せですもの。

自分が幸福に生きられるようになったのは、プラス思考を身につけたからだと思います。
とはいっても、自分は生まれながらにしてプラス思考だったわけではありません。


自分がプラス思考になれたのは、"様々な価値観を知って、それらを自分に取り入れたから"です。


プラス思考になるには、前向きになるには、という話はあちこちで色々な人が書いてますが、自分の場合は"様々な価値観を吸収をする"という方法を実践してきました。というか、自然にそうしていました。


まず、一つ言えるであろうことは「単一の価値観、特に日本の常識的な価値観に縛られると幸福になるのは難しい」ということです。

世間一般の常識・価値観に縛られてしまっている人は、結構多いと思います。


競争社会で自由市場型経済の国である日本の常識(日本に蔓延る価値観)は、


・競争は善・消費は善・お金は大切
・「勝ち組」は幸福・「負け組」は不幸
・努力すれば誰でも成功できる・失敗は自己責任・・・・・


とりあえずこれくらいにしておきます。
今の日本に蔓延る価値観においては、競争に勝ち続けている者だけが幸せになれるようです。
「勝ち組」だけが幸せになれる価値観です。

競争に勝つということは、他人を蹴落とすということ。
つまり他人を不幸にしてはじめて、幸福を掴み取れる。こう考えたら酷いものですね。
それに、競争をし続けている限り、誰でもいつかは負けてしまいますしね。

「負け組」になるのは自己責任だからお前らが悪い、と平気で言う人は大抵「勝ち組」です。
そして、そういう主張が蔓延ることで、「負け組」の人たちも「自分たちが悪いんだ」と思い込まされてしまっています。

このように「負け組」である人たちは、「自分たちは不幸でそれは自分のせいだ」と洗脳されていきます。

「勝ち組」にとってはこの価値観は素晴らしいものなのでしょうが、何も日本国民全てがこの価値観に縛られる必要など全くありませんよね。




では、この日本に蔓延る「常識」という価値観の呪縛から逃れるためには、どうしたら良いのか。

そのためには"様々な価値観を知る"ことがまず第一歩だと思います。

そうなると、リアル・ネット問わず、できるだけ多くの人の考え・価値観に触れることが大切です。

色々な方法があると思いますが、自分が好きで実践している方法は、新書を読むことです。


なぜ新書を読むのが良いかというと、その著者の考え方・価値観が凝縮されているものが多いからです。他人の価値観を手軽に知ることが出来るからこそ、自分は新書を読むのが好きなのです。

まあ、「新書」と一口に言っても色々ありますから取捨選択は必要です。
自分の場合は、何冊もパラパラと立ち読みして、全部読みたいと思ったものだけ買っています。
時間がある時は、何時間も立ち読みしています(笑)

そうやって様々な価値観を知り、その中から自分に取り入れそうなもの・・・自分に取り入れることが出来るものを見つけて、どんどん吸収していきます。

何も、全部取り入れろとは言ってません。自分に合った価値観だけをいくつか取り入れれば良いのです。

そうすれば、一つの価値観では不幸としか捉えられないような出来事も、いくつかの価値観を取り入れておけば、発想の転換が出来るようになり、プラスに変換して捉えることが出来るようになります。

ちなみに、自分が好きでよく取り入れさせて頂いているのは、養老孟司さんと、ひろさちやさんの価値観です。



養老孟司さんは、「バカの壁」「死の壁」で有名ですね。

『若い人の弱点は、今の自分で世界を変えたがること。自分が変われば、世界も変わることに気づいていない。』
『「 知る 」 ということは 「 自分が変わる 」 ということ』
『自分の好きなものを追求していくと、どんどん自分が変わる。自分が変われば世界も変わる。世界が変われば楽しくてしょうがなくなる。 』

これらの名言に、自分は感銘を受けました。
(ところで、「名言」を読むというのはその人の価値観の一端を知るのになかなか有効かもしれません。)

確固とした「自分」があってそれは死ぬまで変わらない。自分なんて変えられない。
それが常識です。

しかし、養老さんは自分を変えるのなんて簡単だとおっしゃります。

考えてみると、他人を変えるより自分を変える方がよっぽど簡単だというのは、至極当たり前のことだと思います。


ちなみに、『「 知る 」 ということは 「 自分が変わる 」 ということ』という名言に関連して、次の言葉をご紹介。

『例えばある人が癌を宣告される。
もう後少ししか生きられない。
そうしたらいつもと桜が違って見えるだろう。
桜が変わったのか。
桜は変わっていない。
じゃあ、自分が変わったのじゃないか。

「 知る 」ってことは 「 変わる 」ってことだ。』


どうです?自分を変えることって、そんなに難しくないと思えませんか?


この価値観を取り入れれば、到底無理なことなのに他人を変えようとして無駄にイライラすることはなくなります。
それより自分が変わった方がラクだし、自分が変われば相対的に周りの環境も変わります。

「自分がどうしようと世の中は何も変わらない」と無力感を感じている人はたくさんいると思いますが、そもそも一個人が周りを簡単に変える力を持っているはずがないですよね。
まずは自分を変えてみましょうよ。


また、養老さんは「自分を変えれば、他人を変えるノウハウも解る」とおっしゃってます。
どうしても他人を変えたい人も、まずは自分を変えてみた方が良いかもしれませんね。




ひろさちやさんは、どれくらいの知名度はいまいちよく分かりませんが、宗教評論家で仏教のことを分かりやすく教えてくれる方です。
「ひろさちや」というのはペンネームで、本名は増原良彦さんです。


ひろさちやさんは、例えばこんなことをおっしゃっています。

『病気になったときは、「これはこれでいいのだ」と受けとるべきです。そのことは、
釈迦が教えてくれています。釈迦は、「過去を追うな! 未来を求めるな!」 と言っています。
病気になった人間が「病気にならない方がよかった」と考えるの は、過去を追っているのです。
そして、「早く病気が治ってほしい」と願うのは、未来を 求めている。病気である現在の自分を
しっかりと肯定することが、釈迦の教えなんだと 思います。』

「常識」で考えれば、病気であることを肯定することは難しいかもしれません。
実際、自分もそうやって思える自信はありません。
ただ、病気になる=不幸 とは必ずしも言えないと分かっているだけでもいくらかは救われるのではないでしょうか。


ひろさちやさんは、多くの本を書いております。(どれも似たような話だと批判されがちですが)
自分が読んだのは 「狂い」のすすめ (集英社新書)  という新書です。
気になるタイトルですよね。

とても分かりやすくてサラッと読める一冊。
『世間の常識を捨てて、「狂者」として生きましょう。
世の中の方がおかしいのだから、かえってまともに生きられます。』と書いてあります。
常識に縛られている人には、ぜひとも読んでほしい本だと思います。


宗教=危ないもの、といったイメージを持っている日本人には、仏教のような宗教的価値観を取り入れることは難しいと思いますが、少しでも取り入れることが出来れば幸福に生きる助けになると思います。

まあ、今の日本人が信じてやまない「科学技術」というのも、自分にとっては宗教みたいなものだと思えますけどね。




多くの価値観に触れる方法として"新書を読む"ことを紹介しましたが、別にこの方法に限らず、ネット上で色々な人のブログを読んだりするだけでも多くの価値観に触れることが出来ると思います。
やり方は人それぞれで当たり前だと思います。
やり方はどうであれ、様々な価値観を知って自分に合うものをどんどん吸収していけばOKです。


「プラス思考で前向きに考えろ」と人は簡単に言いますが、そんなこと簡単に出来たら誰も苦労しません。

プラスに物事を考えるには、発想を転換しないといけません。
しかし、一つの価値観に縛られていては発想の転換なんて出来るわけがありません。
色々な思想・考え方・・・つまりは様々な価値観を知っていて、かつそれを自分に取り入れることではじめて発想の転換が出来るようになり、プラス思考にもなることが出来て、幸福にもなれるのだろうと思います。


ダラダラと書き過ぎましたね。浪人生やってると、わりと暇で色々と考えちゃうんですよ(笑)
こうやってブログ持ってると、考えたこと・思ったことを書いて残しておけるからありがたい。

宣言のついでに「omega」という存在について考えてみた

明日から受験終わるまで、ネットする時間を減らして受験勉強をちゃんとする!とここに宣言しとく。

まあ、完全に絶つわけではないんだけどね。

完全ネット封印はまだいいだろうと思ってる。



ただ、ネット自粛する際のケジメのためにここ最近やってきた「整理」が、まだ終わってなかったりする。

とりあえず、マイリストの整理(だいたいは終わったけど)とか、どうしても紹介しときたいにゃっぽんでの作者紹介日記とか、ピアプロのブクマの整理とかは、勉強の合間に出来れば今月中に済ませようと思う。



ネット自粛期間に投稿されるボカロ動画は、お気に入りの作者のものくらいは確実に確認したいと思う。

お気に入り作者のマイリストのRSS登録は済ませてある。

その他、いくつかの信頼してるマイリストもRSS登録した。

時々観に来ようと思う。



自分は超絶怠惰な人間だから、大学合格のために勉強しよう!なんて思ってもモチベーションは長続きしない。

人間というのは、例え絶対後悔することになると分かっていても、"未来"よりも"今"を優先してしまうものらしい。

将来のために頑張れる人というのは「意志が強い人」ということか。

意志の弱い自分は、勉強を続けるために、勉強を習慣にしようと思う。

勉強を、寝たり・飯食ったりといった「生活の一部」にしてしまうわけだ。

そんなこと簡単に出来るのだろうか、けどやるしかない。



ただ、勉強が習慣になるまでの間は、どうしたってモチベーションを保たなければならない。

その間のモチベーションを保つために、こうやってブログで宣言した。

まあ、所詮はネット上の宣言だから、守らなくったって誰も分からない。

ただ、自分はそういうのは嫌いだ。

ネット上での発言には責任を持てと常々言ってるんだから、その自分がネット上でいい加減なことを言うわけには決していかない。

これは"プライド"みたいなものだ。

もしこの宣言を守らなかったら、自分のあまりの不甲斐無さに恥ずかしくなって、今までのようにブログやtwitterで発言できなくなるだろう。

プライドを失うと発言できない、つまりいないことに等しくなる。

それは即ち「omega」が死ぬということだ。

それは、それだけは、絶対に嫌だ。

自分は死ぬまでomegaでいたい。

自分は死ぬまでHN(ネット世界での名前)を変えるつもりは無い。

簡単に名前を変えて生まれ変われると思ってしまうと、どうしてもネット上での行動がいい加減になってしまうからだ。

omegaを死なすわけにはいかない。



「大学に行くため」よりも「omegaでいたいため」「omegaを死なせないため」の方がやる気が出るわけだ。

それはつまり、「現実における自分」より、ネット上での自分=「omega」の方が大事ということかもしれない。

実際、そうなんだろう。

現実よりもネットの世界の方が楽しいから、ネットに嵌るわけだし。

ネット依存、とまではいかないにしても、ネットは今の自分の人生の大部分を占めている。

こういう状態は危険だと思われるかもしれない。

どうなんだろ、やっぱマズイのかな。

まあ、実際そうなってるんだから仕方ない。



どうしてこんなに「omega」を大事にしようと思うようになったんだろうか。

ボカロに嵌るまでは、自分はROM専でネットの世界を見てまわるだけで、omegaは存在しなかった。

だが、ボカロ界隈の人たちとの交流を求めて、自分はネット上でomegaと名乗るようになった。

omegaは、ブログやtwitterやはてブを使っている。

これらを使っていることで、omegaという存在が維持される。

特に、このブログはomegaの「家」みたいなものだ。

ブログやtwitterやはてブを行き来して、omegaは生きている。というか生きていられる。

そして、omegaとして生きることはとても面白いし、楽しいし、幸せだ。

つまり、ROM専でいるよりomegaでいる方がずっと楽しいことが分かったのだ。

ネット上で生きることの面白さを知ってしまったのだ。

こうしてomegaは生まれ、どんどん大きくなっていった。

その結果、「omega」は自分の大部分を占めるようになってしまった。

今の「自分」を、「現実の自分」と「ネット世界の自分」(=omega)に分けるとしたら、omegaの方が大きいのだ。

ネット依存の人というのは、「ネット世界の自分」の割合が100%、またはそれに限りなく近づいてしまった人のことを言うのかもしれない。

自分は、まだそこまでは行っていない。

現実には親友も家族もいるし、希望も持ってる。

それでも、omegaが「自分」の半分以上を占めているのは確かなので、やっぱりomegaを死なすわけにいかない。

omegaを死なせることは、自分の不幸に繋がる。



勢いに任せてグダグダ書いてみた。

まあとにかく、omegaを死なせないために自分は受験勉強をやる。それでいいや。

ちゃんと受験勉強をすれば、現実の「自分」もそして「omega」もハッピーでいられる。

それでいいや。
プロフィール

omega

Author:omega
残念な浪人生。

プラス思考・楽天主義な人間。

怠け者。天パ。理屈好き。

知識人に憧れる少々ウザイ人。

現在の趣味→マイナー系VOCALOID作品中心に、ニコニコ動画を徘徊すること。

twitter
何か呟いてます。


つぶやきのログ→Twilog

はてなブックマーク
個人的メモとして。
VOCALOID動画中心にニコニコ動画関連を多くブクマ。
omega のブックマーク

にゃっぽん
知名度が低いと思われる作者の紹介をやってます。
omega のページ
アカウント持ってない方は コチラ

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